星はまた昇る

 万物は流転する。川の流れはとどまらない。世の理とはそのようなものであり、理不尽なものの原因というのも、元を辿ればその辺りに源があったりするものだ。

 その事件の当事者に曰く、かの現況は、そもそも「星が落ちた」ことに端を発すると。

 すべてに引力があり、ならば星が引かれることもあるだろうと。

 つまり、そういうわけなのだった。

 七騎士の間を、重苦しい空気が包んでいた。

 こういう状況は苦手だと、ファズは思う。とはいえ厭わしい時間に早く過ぎ去れと念じたところで、何が好転するはずもない。

 そもそも話題の中心となっているはずの人物は席を外して、なぜ関係ない自分たちがはらはらしなければならないのかが疑問だった。この感情のぶつけどころのなさが、どうにも時間を間延びさせているように思えてならない。既に飛び散る火花はのっぴきならないところまで来ているように見受けられたが、この事態にあって場にいるのは、ファズとその妹のミシー、レンとロザ、さらにマキスだけだ。

「――わたしが誰から何を受けとろうが、わたしの勝手でしょう?」

 束の間の沈黙を破ったのは、ロザだった。淡々とした口ぶりであり、なにを気にした風でもない。問われたレンのほうがむしろ表情を険しくした。

「しかし、実際に被害がでています! 自重すべきです」

「それを、あなたが渡した側にいうべきでは?」

 億劫そうに返答を重ねるロザの表情はあくまで涼しげだ。レンとの温度差がますます激しくなっていく。

「それはっ……そうかもしれませんけど」

「あまり個人的な感情を持ちこまないで欲しいわ」

 つい、と視線をあさってのほうにやり、興味もなさそうにいう。火に油と見えた。

「個人的って……そんなつもりはありません!」卓を強く叩く音が響く。「だいたい、けが人がでたのは事実なんです! それを『わたしの勝手でしょう』なんていうのは、むしろ、個人的感情を持ちこんでるのはそっちじゃないんですか!?」

「――なんですって?」

 ロザの目尻が引きつり、レンが身を乗り出す。

「そんなの、自分が手放したくない言い訳じゃないですか! 欲しいなら欲しいって素直にいえばいいんです!」

「それは……なんだか論点が変わってるような……」よせばいいのに、マキスが横から苦笑いをする。

「変わってません!」

「え、あ、変わって……なかったね、ははは。うん、ごめん」

 レンの悪鬼のような双眸に射貫かれて、マキスはあっさりと前言を撤回した。ファズはといえば、既に発言を諦めていた。妹も我関せず、といった風に無表情のままで、恐らくは自分と似て諦観の態度なのだろう。

 ――どうしてこんな面倒なことに……。

 口角泡を飛ばしながら感情を露わにするレンと、発言こそ少ないが、不愉快げに顔を歪めるロザ。

 その二人をぼうと見ながら、ファズは発端となった出来事について、思いをはせていく。

 ――ガンドア市街。

 ファズが見渡すと、目の合った何人かが、微笑んで会釈した。笑い返せば、大げさに畏まる者もあって、少し窮屈な感覚をおぼえる。

 街は、人と資材の行き来に溢れていた。決戦より未だ日は浅い。決して多くの進入を許した訳ではなかったが、イビノスの攻撃で崩落した部分の補修が、完全には追いついていないのだった。最大の外敵のいなくなった今、いずれは現在の外壁を取り壊し、より広い都市づくりを考えていくべきだという話もあるが、さすがに先の話になりそうである。

 ため息が出そうになり、それを慌てて飲み込んだ。ここのところ忙しく、なかなか身を休める暇もないが、立場上、あまり不調そうにしているわけにもいかない。

 行うべきことは無限にあったし、無限に行えることを自分は期待されているのだ、という自覚もあった。

 背負わなければならない、と感じる。

 租界を含め、すべての国民が十分な居住地を得られているわけでない。そうした貧富の差――多くは、ランクと、家柄によってもたらされていた――の解消も含め、これから為政者としての仕事は、ますます増えていくだろう。

 ランクの廃止や、修練の制度の変更。そうした抜本的な改革に早く着手したい、という気持ちが、ファズの中に強く根付いている。それは元々族長という家柄の出であったせいかもしれないし、あるいは、古い風習に囚われていたことへの悔恨故かもしれない。

 ――大きな枠組み、制度そのものの改めを早急に。

 そうした声は、もちろん国民からもある程度挙がっているものだった。だが、そうした要望は飽くまで『ある程度』の数であり、決して目立って多いといえるほどの量ではない。そして特徴的に思えるのは、その手の意見を唱えるものの殆どが、生活基準が一定以上にあるもの――つまり「裕福な者」であるという点だろう。

 そうした統計を目にして、なぜだろう、とファズなどは首を捻ったものだ。強さこそ全て、という制度そのものが彼らを苦しめてきたのではないのか。ならば「これを変えたい」と思うことが当然ではないのか。

 だが、データは明らかにその予想に反した答えを示している。

「国民の多くは、制度なんか気にしてないさ。もっと即物的な、生活インフラを整えるのが先決じゃないかな」

 笑いながらそういったのは、マキスだ。方針も、彼らしい穏健な雰囲気のもので、間違っているとまでは思わないものの、ひどくまどろっこしいやり方に聞こえた。

 それに対する急進派というべき一派の筆頭が、レンである。彼女は元々改革を志していた、と聞いている。だからだろうか、話し合いもそこそこのところから、穏やかなマキスの意見に、レンは真っ向から反抗することとなった。

 彼女ほど強い語調で意見を述べる気にはならなかったが、ファズもほとんどレンに同調する形となる。ランキング制が政治を行う上で善となる要素は、ほとんどないように思ったからだ。

 が、

「そういうのを変えて下が喜ぶと思うのは、おれっち個人は傲慢に感じるな。当面の食い扶持とか、今日、明日に困ったことがない奴の発想っつーかな。ぶっちゃけると、他人の手で生活してきた奴の、『裕福なニオイ』ってやつがしやがる。……ま、こりゃ、どう考えても貧乏人の嫉みだけどよ」

 タイロンの台詞に、黙りこむ事となったわけである。

 話し合いを続けるうちに、改革の難しさはより具体的な形で浮き彫りとなってきた。

 現状最大の問題は『七騎士』という、強さを基準にした為政者の存在である。これは、七人の中で誰も異論を挟む余地のないところではあった。

 しかし、強さを基準にした富や地位をどうにかしようとすれば、まず道理からいって七騎士がまずその座を奪われなければならないはずだ。

 それが、難しい。

 政治の能力を問われてその座についた訳でもないのに、現在の七騎士への、国民の信頼は、ひどく厚い。むしろ、ファズなどは、あまりに不自然に厚すぎる、とさえ思っていた。人類の危機を救ったという功績を考えれば当然ともいえるのだが、その無条件の信頼には、妙な危なっかしささえ感じる。

 恐らく現状、「ランキングを廃止するので、七騎士をやめます」といっても通るまい。国民の誰もが七騎士に対して、人格者然とした公正な人物像を描いている。かといって、「七騎士は続けますが、ランキングは廃止します」というわけにもいかないだろう。そうなれば七騎士のメンバーに入れ替わりがなくなるわけで、現権力者が立場に固執している、とレッテルを貼られても仕方がない。それはいかにもまずい事態だった。

 何はともあれ会議では「現状メンバーがすぐに七騎士をやめるのは難しい」という結論を出さざるを得なかったわけだ。大きな枠組みを変えて行くには、恐らく、相応の時間や準備が必要になるのだろう。

 そういうわけで、「当面は、生活インフラの安定に力を注ぐ」というのが、今後の主な方針と決まった。よって現在、七騎士の労力は都市の補修における人材や資材の配備監督にその多くが割かれている。

 地味な仕事ではあったが、恒産なくして恒心なしともいう。当初は急進派という立場をとったファズだったが、こうして実際に改修されていく町並みを見ると「案外悪くない」とも思えた。人が暮らす街を修理することの意義に、思わず笑みが浮かぶさえあった。

 成果を確認してみれば、実務の内容に反してやりがいのある仕事だったわけである。

 なにせ近頃の毎日といえば資材調達に関する終わりのない会議と、他には「……鍵をなくした。自分の部屋にはいれない」と情けない顔をする友人に、落とし物を捜して回る程度のものだったのだ。だからこうして復旧の現場を見ることができたのは、モチベーションの上で、非常に大きなものを得た、と思う。

 とはいえ、今日の仕事は決して見物ではない。近頃起こる騒ぎを事前に防ぐための……いってしまえば「見はり」のような役目があるのだった。

 あまり気を抜いてばかりもいられない立場である。

「なあ、挙動不審なヤツとか、見かけてないか?」

 道行く人間に、次から次へと声をかける。

 七騎士の立場はさすがに便利なもので、冗談半分を装っても大抵の人間が質問には素直に答えてくれる。同じ七騎士でもモノによっては、市街に出るとあまりの人望に大勢の人が集まってくるようなこともあるという。

 ファズにとっては、自分にジグほどの人気がないのも丁度いいところで、ある意味ではやりやすく、あるいは生きやすいともいえた。出かける度に変装を真剣に検討する親友の表情を思いだし、思わず口角が持ちあがる。ランキング一位の大騎士は、さすがに自分とはモノが違うレベルの人気者だ。

 街を見渡し、騒ぎのないことを確認した。

 ――なにも起こらなければ、ま、それが一番だな。

 資材を運ぶ人々を見て、さて、自分も少し手伝っていくか、と服の袖をまくりあげたその瞬間だった。

「――キャアアアアアアアアア!」

 背後から、悲鳴があった。考えるよりも前に、ファズは素早く走り寄る。ぞろぞろと、人が集まってくる。何があったのかは、話を聞くまでもなくわかった。

「医者を呼べ! すぐに! 大丈夫だ、助かる!」

 怒鳴った。地面に少女が横たわっており、恐らく意識を失っていた。みた限りでは、腕から出血している他に外傷はない。

 ファズはとっさに頭上を見あげた。真上の宿の一部屋の、窓の開いているのが確認できた。どうやら、あそこから飛び降りたらしい。

 あれなら、大した高さではない、とファズは思う。それでも骨折程度はしているだろうが……。たぶん、頭さえ打っていなければ大丈夫だろう。

 これが近頃頻発している、街を騒がせる原因――。

 自殺騒動だった。

 宿に運び込まれた少女を、ファズは見つめていた。

 医者によれば命に別状はなく、意識もショックで失っているだけで、すぐに取り戻すだろうとのことだった。意識を取り戻したらまた連絡してくれ、と言い残して医者はすぐに去った。少々、多忙であるらしい。

 はたして医者の言葉通り、少女のうなされるような声と共に、彼女のまぶたが動くのを、ファズはみた。長い睫毛の揃ったそれが、ゆっくりと開いて、現れた瞳が外界を認識していく。

「……目が覚めたか?」

 とファズはその少女に向かって声をかけた。手元の書類に目を落とす。簡単なプロフィールが記載されていて、彼女の年は十七とある。

「悪いが、身元は調べさせて貰った。家族が心配してたぞ。……いちおう、不注意で足を滑らせたってことにしといたが」

 返答は沈黙だった。少女はシーツの上に置いた自分の手のあたりをぼんやりと見下ろしたまま、何度か瞬きをくり返す。

「大丈夫か? どこか、痛いところがあるか?」

 くり返して聞く。

 言葉は一応、聞こえてはいるのだろう。ゆっくりとした動作で悲しそうにファズを見返すが、やはり返答はない。ファズはため息をついた。

「あのくらいの高さじゃ、死ねない。何があった?」

「……」

「最近、似たような騒ぎがおおい。飛び降りただの、突然手首を切っただの。全員、君みたいな若い女の子だ。流行ってるのか? 今のところ死者は出てないが、あまり続くようだと、それもどうなるかわからない」

「……」

「だんまり、か」

 首を振った。そもそも、大した高さではなかったとはいえ、彼女だって打ち所が悪ければ死んでいた可能性も十分あったのだ。ふいに、妹のことが頭をよぎった。ミシーも年の頃なら、目の前の彼女と決して遠いとはいえない。

「話が聞きたい。なあ、頼むよ。俺の顔なんか知らないかもしれないが、ひょっとしたら力になれるかもしれない。もっと頼りになるヤツを呼んできてもいい。話しやすい人間が他にいるならいってくれ。家族でもいいし、友達でもいい。とにかく、何か喋ってくれ」

 無駄かも知れない、と思いつつ、声をかけ続ける。

 少女の目尻に、涙が浮かんだ。

「……ロザ様……」

「ロザ?」

 突然口を開いたこともそうだが、それ以上に意外な名前が出てきたことに、驚く。自分と同じく七騎士の一人たる『光弓の天秤』。その秀麗な顔立ちが、脳裏に浮かんだ。「ロザに、何かされたのか?」そうは思えなかった。が、恐る恐る聞く。

 少女は慌てた様子で、ぶんぶん、と首を横に振った。

「実際には、喋ったこともありません」

「じゃあ、なんだ?」

 涙の粒がいよいよ大きくなって、重力に引かれ、やがて頬をつたっていった。あまりに不躾に、事情を聞き過ぎたかもしれない、と思う。泣くのをこらえられない様子で、少女は両手で目を覆う。喉からは少しずつ、か細い嗚咽が漏れ始めた。

「ロザ様が……」

「ロザが?」

「私たちのロザ様が……殿方の合い鍵を受けとったと聞いて…………」

 そして「わぁ」とついには泣き伏した。

 ファズの脳裏には、あまりに巨大なクエスチョンマークが大変な速度で飛んでいった。

 だから、どうした、と聞ける雰囲気ではなかった。

 ロザがこれまで誰かから合い鍵を受けとることはなかった、と少女は断言していた。ましてや男からなど、と。

 性格を鑑みても、それは恐らく事実なのだろう、とファズは思った。

 少女に曰く、

「落ちぬはずの星が落ちた」

 などと表現したのはさすがにいささか大仰であろうとは思うが、しかしそれに近しいものなら、ファズとしても感じないではない。旧七騎士の人間であったという過去が関係しているとは思わないが、現メンバーの中でも親しい人間がいるというイメージはない。恐らく、元々人間関係に固執するタイプでもないのだろう。

 さて。

 悩みはした。悩みはしたが、報告はしなければならなかった。

 プライヴァシーに関わる問題とも思ったが、自分一人の胸にしまっておいて解決する話でもないのだ。というか正直、この件に関して自分になにができるとも思えない。

 合い鍵を渡したほうの人物について先に調べるべきかとも思ったが、先に見かけたのはロザのほうだった。聞けば隠すでもなく「この前、ジグから受けとりましたが」と答えた。

 会議前。いわゆる雑談の延長程度のつもりだった。

「……ジグから、借りたのか」

「ええ。なにか?」

「なんだろうな……」

 なんといえばいいのだろう、と思う。

 あんたのファンがその件で自殺を図ってるから返してきてくれ、とでもいえばいいのか。そういえば解決はするのかもしれない、とも逡巡するが、いくらなんでもバカバカしい提案であるように思われた。

 顔をしかめる。

 自傷のケースが多いわりに死人がでていないのは、たぶん、死ぬ気がないからなのだろう。

 恐らく、要は、アピールなのだ。

 例えば「自分はあなたが鍵を受けとったことに、こんなに傷ついています」というような。

 実際にけが人が出ているとはいえロザ本人にそれをいうのは、彼女らの策略にそのまま乗っかるようで少々業腹にも感じられた。しかしさすがに放っておくのも憚られて、どうしたものかと頭を捻る。

「鍵、ここしばらくは預かっていますが……何か問題でも?」

「いや、なんというかな。……うん? しばらく?」

「はい。この前、せっかくなので部屋にいきましたが。その際に『返さなくてもいい』、といわれましたので」

 その言葉を、ファズは少し奇妙に思った。

 合い鍵そのものは、ファズも渡されたことがある。というか、ついこの前も受けとって、部屋に遊びにいった。

 どうやら親しい人間に合い鍵を渡すというのは、この街での流行りというか、習慣のようなものらしい。それはつまり、「いつでも訪ねてきていい」というような意味の、友愛の表現なのだろう。

 個室自体がある程度ランキングの高くなければ手の届かないものであるために、それはある種の上流階級の趣味であるともいえた。

 自分が初めて渡された時はひょっとして、「親しい人間」の意味をジグが勘違いしているのではないか、と思ったものだ。だがあとでマキスに確認したところ、実際に友人同士で渡すことも珍しいことではないという。似たようなことをミシーも考えたようだが、逆にいえば異性に渡すのも、必ずしも親愛以上の意味はもたないのだ。

 ファズの知る限り、ジグは二つ合い鍵を持っている。

 逆にいえば二つしか、持っていない。

 あの親友は性格に似合わず、妙に交友関係が広く、様々な人間に鍵を貸し出していた。

 それを知っていたので、鍵は様々な人間にまわるのだろうからと、ファズは一度部屋を訪ねたら、その時に合い鍵は返すようにしていた。それでしばらくすると、また自分に鍵が渡されることもある。ジグがどういう基準で鍵を渡す人間を選んでいるのかは知るよしもないが、「どうせ適当なのだろう」とファズは深くは考えなかった。

 それを「しばらく持っている」と。そうロザはいった。

 鍵を「返さなくていい」などとは、少なくともファズ自身はいわれたことのない言葉だ。少々面食らって、なにをいうべきかを見失う。

「すみません、市井の文化には疎いのです。受けとるのは始めてのことでしたし、なにか不都合があるようなら、善処しますが」

「いや、そういうわけじゃない。……あ」

 そこへ、丁度レンが通りかかった。ファズの認識だと、異性の中では彼女がもっともジグに近しい。イゴリダや、自身の妹であるミシーも親しいとはいえたが、はたして彼女らがジグに対してどういった見解をもっているのか、ファズには計りかねた。

 彼女に聞くのも、いいかもしれない。

「悪い、レン。ちょっといいか」

「あ、はい。なんでしょう」

「不躾な質問だったらすまないが……」

「なんでしょう?」

「ジグから、合い鍵もらったことあるか?」

「はい?」

「合い鍵だ。部屋の。……ないのか?」

「あの、え? 鍵……ですか?」

 質問の意味を計りかねる、というように、レンはひっくり返った声で聞きかえした。男の部屋を訪ねたことがあるのか、という質問に、内容としては限りなく近い。受けとられかたによっては、明らかなセクハラだった。

「どうなんだ?」

「それは……ありますけど。で、でもっ、あなただってあるでしょう」

「ある。それで、使ったか?」

「そ、それは、渡されたものですから。もちろん、使いますよ。……べ、別にいかがわしいことに使ってなどいません! 訪ねて、お話しただけです! それ以外のことはなにも……」

 聞いてもないことへの弁解が始まった。

「いや、別になにをしようが構わないんだが」

「なにもしてませんッ! ……鍵も、昨日訪ねてすぐに返してしまいましたし」

「だよな、返したよな」

 得心してうなずく。一度きりで返しているのは、やはり自分に限ったことではないのだ。もちろん、ジグが誰かに渡しっぱなしにすることがあり得ないとはいわないが、それがなぜロザなのか? という疑問はあった。

「…………ひょっとして、返すものなんですか?」

 端から話を聞いていたロザが、珍しくきょとん、とした顔でいった。

 それを受けて、

「…………え? ひょっとして、返してないんですか?」

 レンも、心底驚いたような表情でいった。

 面倒なことになっている、とファズが気づいたのは、その瞬間だった。

 そうして二、三の確認のあと、徐々に語調が強まり、口論が始まり、会議に引きずって、この有様である。

 自分のうかつさを、呪いもする。

「今すぐ返すべきですッ!」

「プライベートにおける自由です。そこまで公務に干渉させるつもりはありません」

「被害が出てるんです!」

「因果関係は証明されたわけではありません」

「分からず屋!」

「……そっちだと思いますが」

 レンの激昂は収まらず、ロザもそれを受け止める気はないようだった。「……ジグがくるまで終わらないね、これ」とミシーがいった。そうして、欠伸を一つする。

「お前、意外と余裕あるな」

「そういう兄さんは、意外とびびるのね。このままだと話進まないし。そうね――あの、お話中ごめんなさい! いいですか? 質問があります!」

 突然、ミシーが立ちあがって挙手をした。ロザと、レンがぴたり、と動きを止めて、ぐるりとこちらを向いた。

 その目が怖いな、とファズは思う。対照的に、確かにミシーには前言通り、特に臆した様子は見られなかった。ユーリの時もそうだったが、この妙なクソ度胸はいったいどこから生まれているのだろう。

 何はともあれ、何かしらの考えがあっての発言だろう。あるいは二人を落ち着かせるために、一肌脱いでくれるのかもしれない。そんな淡い期待をも込めて、じっと妹の言葉を待つ。

「質問? ……なんですか?」

「はい、あの――ロザは、ジグがすきなんですか?」

 ぶは、とマキスが吹いた。

 予想に反してのド直球だった。

 ファズは息を飲んで、そのままマキスが硬直した。レンはロザを見た。ロザはミシーの視線をまっすぐに受け止めていた。そして、

「……そうですね。まあ嫌いではありません。強いですし。どちらかといえば、好ましく思っています」

 と、そういった。

「――つまり、好きってことじゃないですか!」レンが叫んだ。

「違います。そこまではいっていません」

「いってます!」

「いっていません」

「絶対に、いってます!」

「……めんどくさい」ロザは、吐き捨てるようにいった。

「あなたにめんどくさいとか、いわれたくないんですッ!」

 口論再開。いささかも、状況は変わらなかった。

 聞きたいことは聞いた、というようにミシーは着席する。その妙に満足げな表情はなんなのだろう。

 しかし――ロザにしても、ある程度ジグに好意を持っている、ということになるのか。ファズは、知らず、ため息をつきかけた。

 いや、好意、という程のものでないのかもしれない。だが少なくともジグに「始めて他人から合い鍵を受けとる」という選択ができるくらいには、心を許しているのは確かなのだろう。それが彼女の中でどれほどの存在を意味するのかは、ファズには推し量りようもない。だが、そう「星が落ちた」、とまで表現されていたのだった。これまでが落ちぬ星、と思われていた訳で……ジグに鍵を渡されるまでは、同種の提案は恐らく、にべもなく断ってきたに違いない。

 それを承諾するというのはやはり、本人が否定していようとも、レンのいうとおり、限りなく好意に近い感情を持っている、ということではないのだろうか。

「今すぐ返して下さい!」

「嫌です」

 それにしてもいい加減にこの状況、どうにかならないものか――とファズがうんざりしはじめたその時である。――ぎぃ、という音を立てて、間の扉が開いていた。

 ジグだった。

「……ようやく来たのか、ジグ」マキスがいった。声にいくらか、待ちかねた、という感情を通りすぎ、感動が滲んでいた。

「どうかしたのか?」

「どうもこうもない」

 説明のしようもなかった。

「ジグ、来ましたか」

 こちらも既にうんざりしている、といった様子で、ロザはジグに向かって歩み寄った。

「どうした?」

「この際だからはっきりさせておきたいのですが……これ」

「鍵? ――ああ、おれの部屋の、合い鍵か」

 これがどうかしたか、と首をひねる。もちろんジグ自身にとっては、なんの変哲もない合い鍵でしかないのだ。

「これをあなたに返すべきだと、そこのお姫様がわめくのが煩くて仕方がないのです。私はこれを、あなたに返したほうがいいですか?」

 聞いた。

 ジグは質問の意図が飲み込めなかったのか、少し面食らったように黙っていた。

 が。

「――いや、それはおれが預けたものだ。ロザに持っていて貰わないと、困る」

 首を振って、そういった。

「それがあなたの望みである、ということで、間違いないですね?」

「――? ああ、そうだ。俺が望んで、ロザに預けた」

 レンの息を飲む音が、大きく部屋に響いた。目に見えてロザの口角が持ちあがった。

「……ほう」

 少々、これは、意外な返答であるように、ファズは思った。明らかにロザを特別視しているように聞こえる答えだ。別にそれならそれで構わないとは思うが――いや、嘘か。

 思い直す。親友の心の機微を、こうはっきりと口にされるまで一切感じ取れなかったことが、どうも自分は少々気にくわないらしい。問いただしたいが、果たして、どう聞いたものだろう?

「理由」

「……ん?」

「理由を聞いていいですか!?」レンが、やけくそ気味に叫んだ。

「なんだ? 理由?」

「彼女に鍵を預ける理由です! な、なんでそういうことをするのか、具体的に説明してくださいといってるんです!」

 それは墓穴だろう、と恐らく部屋の全員が思った。仮に、この場で彼がロザに対する好意を告げたら、そのあとレンは自分を取り繕えるのだろうか? と無駄な心配にまで及んでしまう。実際、まあ、無理だろうな、とも思ったが止める理由も見あたらない。どうも自分が無用にハラハラしている、とファズは思った。

 当のジグはといえば、やはり意図のわからない質問だったのと、レンの剣幕に押されたらしい。助けを求めるように、ファズのほうと、マキスのほうを交互に見ていた(見られた二人は、同時に首を横に振った)。

「……あー……」

「はい」

「この前、部屋の鍵を無くしたんだ」

「はい」

「すぐに見つかった」

「はい」

「もう一回無くさないようにするにはどうしたらいいか、とファズに相談したら……」

 ――おれ?

 突然話の矛先が飛んできて、ファズはわずかに首を捻った。言われてみれば確かに、そのようなことを聞かれたような気もした。つい最近のことだ。あれにはどう答えたんだったか……と記憶を辿り、すぐに回答に辿り着いた。ジグが気をつける、という以上の策は恐らくないと思ったのだ。だから次善の、他の方法を提案したのだった。

 そう、確か自分は……。

「なら物持ちのよさそうなヤツに、合い鍵を預けておけば安心だろう、といわれたんだ」

「……」

「……」

「……」

「……」

「……」

 場の全員が鼻白んだように、ジグを見つめた。

 その様子にさすがに不安になったのか、「……どうしたんだ?」とジグが聞く。ファズも、不安になっていた。若干の勇気を振り絞って、ロザの表情を覗き込む。怒りのためか羞恥のためか、白い肌には朱がさしていた。たいそう、珍しい表情であるように思った。

「つまり、私に預けたのは、ものを無くさなそうだから、ですか?」

「そうだ。……いや、どうしたんだ? みんな、おれの顔になにか――――ぶっ!?」

 ロザが殴った。

 グーだった。

 振りかぶっていた。

 まさに渾身の一撃、といった様相だった。

「なに……を……」

 鼻血を噴出し、そのままの勢いで仰向けに倒れたジグの腹にちゃりん、と鍵が落ちる。

「これ、返します――では」

 声色だけは平静を装い、ロザは怪獣のような足音を立てて退室した。

「……今日はこれまでかな。ジグ、あとでフォローしておくんだよ」マキスが立ち去る。

「うふふ。じゃあ、これ、次に私が借りますね?」鍵を拾い、レンが上機嫌に出ていく。

「なんだかな、って感じね」こちらを見あげて、しらけたようにいう妹に、ファズは頷いた。

「頑張れよ親友。空気の読み方は……イゴリダ辺りが、詳しいんじゃないか」言い残して、二人、部屋へと戻ろうとした。

 そうして。

「なんなんだ……」

 と背後、呆然と呟くジグの声を、ファズは遠く聞いた。

 ――その後、ロザが誰かから鍵を受けとったという話を、ファズは寡聞にして聞かない。

(了)